傾聴の技術で人生が変わる 20150821

 

おはようございます☆

 

8月も残すところ1週間余りとなり、夏休みの宿題もいよいよ追い込みシーズンとなりました。そして、夏休みが終わり、秋の香りが漂う頃には、大人の学習意欲もふつふつと湧いてくることでしょう。

 

大人の学習。

 

わたしにとっては、とっても良い響きのコトバ。思うに、年を重ねるごとに学習意欲が湧いてくるような気がします。なぜでしょうか・・・おそらく、学習による成長で、老いのシステムによって失いつつあるものを補っているのかな、と思う今日この頃です。

 

未成年の時代、ふんだんに学習する機会を与えられていたはずなのに、その頃には学習することに悦びを感じたという記憶があまり残っていない、この現象はわたしだけのものでしょうか?

 

未成年の時期には「親は無くとも子は育つ」ではありませんけれども、確かに身体は成長していきますから、子供にとっては、自分の身体の中で起きている変化に、日々、立ち会っているわけです。それだけでも、大変なエネルギーなのだろうと思います。

 

その上に、学校の試験やら、塾やら、スポーツやらと、あるわけですから、全てに全精力を傾けるなんて、その小さな身体にどれだけの負担がかかっているかは、想像に難くありません。

 

当時、そんな思いもありましたから、わたしは息子たちを「シュタイナー教育」という教育理論を採用する保育園へ入れようと思ったのです。わたしは大学で取得したドイツ語の単位のことなどすっからかんに忘れていましたので、シュタイナーの母国であるドイツへは行かず、イギリスへ渡り、イギリスのシュタイナー学校を選択したのでした。

 

ご興味ありましたら、こちらがその学校のウェブサイトですのでご覧ください。

http://www.michaelhall.co.uk/

 

その後、数年を経て、皆がそうするように、わたしも息子たちを公立の学校へと転校させました。保育園から幼稚園くらいまでのシュタイナー教育には感銘を受けましたが、そのままシュタイナー学校で、小学校・中学校・高校、と過ごすことを考えた時、その先にはシュタイナー教育の教師になる、ということ以外の道が見えにくかったから、という、これもまた、皆と同様の理由での転校でした。

 

その理由は、「社会の一般的な仕組みの中で生きていくためには、社会の一般的な仕組みから外れてはいけない。」ということだった、と記憶しています。

 

つまり、その頃のわたしはサラリーマンでしたから「社会の一般的な仕組み」の中で生きていたと言えると思います。そして、そのサラリーマンがシュタイナー学校へ息子たちを入学させるという行為は、詰まるところ「社会の一般的な仕組み」から外れる行為だったと、考えたわけですね。

 

その当時のわたしには、そう考えることが精一杯だったのでしょう。未熟だったわけですから、仕方の無いことです。

 

その頃のわたしが、今のわたしのようにニュートラルな考えを持ち合わせていたなら、サラリーマンを辞めて、息子たちと共にシュタイナー学校とシュタイナー教育をエンジョイする道もあるよ、ということくらいは理解出来たでしょうに笑。

 

でも、当時は出来ませんでした。パラレルワールドを信じるわたしですが、残念ながら、そこ(転校したこと)には分岐点は無かったと思います。なぜって、迷いもしませんでしたし、そこが曲がり角だという認識すら無かったわけで・・・無知とは恐ろしいものですね。時に人生を短絡的にしてしまうわけですから。

 

そして、もう一つの逸話があります。

 

先ほどのシュタイナー学校は子供向けの学校ですが、大人向けの学校もあるんですね。http://www.emerson.org.uk/

 

そちらへは、ごく稀に日本人の方が就学されているのですが、当時、ご夫婦で滞在されていた方と知り合いになりまして、とても気さくなご主人だったと記憶しておりますが、確か、株式の運用で生活しているとおっしゃっていたと思います。

 

それを聞いた当時のわたしの反応は、非常にネガティブだったと思います。「そんなもので安心して生きていけるはずが無い!」という固定観念があったので、そこにばかりフォーカスしてしまい、肝心な部分が盲点になっていたのです!

 

その肝心な部分とは、彼らご夫婦は「社会の一般的な仕組み」の奴隷ではなく、自由の身だった、ということ。尊敬はしても、軽蔑すべきでは無い存在だったにもかかわらず、サラリーマン根性が脳の隅々まで蔓延っていたわたしは、全くもって、恥ずかしい反応をしてしまったのです。ごめんちゃいっ!

 

先日、ワタナベ薫さんがおっしゃっていましたけれども、現実はすべて妄想。結局のところ、自分の価値観と信念という色メガネで世の中を映し出していて、そして、その色メガネで相手をジャッジしてしまうのですね。

 

想像しただけで恐ろしい話です。なぜかというと、その色メガネが「真実を映すメガネ」だと信じ切っている状態なわけですから、それはそれは危険な状態だと思いませんか?

 

では、その危険な状態を回避するためにはどうすれば良いでしょうか?

 

わたしは、『聴くこと』です、と答えることにしています。この意味は、聴くことで相手の色メガネを借りてきてそれをかけて世界を観る、ということになります。

 

相手の色メガネをかけても、最初は違和感があることでしょう。でも、それが正しい感覚なのですよ。人には個性があり、あなたにも、相手の人にも個性がありますから、あなたが感じたような違和感を、相手の人もあなたに対して感じている、と言えばわかるでしょうか?

 

大切なことは、あなたが相手の人の何かに憧れや羨望を感じているなら、その人の色メガネをかけたら違和感を持つのは当たり前で、その色メガネをかけ続けて生活していれば、あなたが憧れている相手の人のように、あなたもなれますよ、という部分です。

 

変わりたい、と思っているのですから、変わるプロセスでは違和感を経験するのが当たり前ですね!ですので、どんどん聴いて、どんどん違和感を肌で感じるようにしましょう☆

 

最後に、よくある間違いについても書かせていただきます。

 

聴くといいですよ、というアドバイスをすると、聞いてから自分の言葉で言い直す人が少なくありません。これ、ダメです。「それって、こういうことですか?」と自分の言葉に置き換えた瞬間に、自分の色メガネをかけ直しているわけです。

 

その結果、相手の見ている景色を歪めてしまっていますよね?この発言をした瞬間に、相手の人はその人のことを遠い存在と感じることでしょうし、本心を話すことも止めてしまうでしょう。残念なことです・・・

 

ということで、聴くことで人生を変える、ということについてお話させていただきました。

 

あなたには、相手の色メガネを借りて景色を観ることの意味が伝わりましたか?

 

本日も最後までお読みいただきまして、誠に、ありがとうございました。

 

では、今日も一日はりきっていきましょう♪

 

イギリスの書斎より

いしいとものり

 

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